- 来 歴
- 石州流は将軍家をはじめ諸大名の茶道として江戸時代に全国各藩に広がり発展しました。仙台藩でも代々藩主の茶道として伝えられた流儀であります。
石州流の流祖片桐石見守貞昌公(1605〜1673)は1624年従五位下石見守に叙任され、大和国小泉(現在の奈良県大和郡山市小泉)一万三千余石の城主になりました。石見守であったので石州といわれ、石州流の名称はこれに由来します。
石州は茶道を千道安(利休の長男)の高弟桑山宗仙に師事し、四代将軍徳川家綱公の茶道師範となりました。それ以来石州流は大名茶として親しまれ今日に至っております。
一方仙台藩では、すでに二世動閑(1614〜1691)が二代藩主伊達忠宗公の命により、石州公の許に師事していましたが、十三年の修行の後、仙台藩の茶道頭となりました。
三世道竿(1662〜1737)は動閑の弟子でありましたが、四代藩主綱村公の命で松浦鎮信公及びその師である藤林宗源(石州公の家老)に師事し数寄伝授を受けました。茶道熱心な綱村公は道竿工夫の茶の湯を殊のほか外好まれ、綱村公の考えによって、仙台藩の茶道は「石州流清水派」として確立されました。以来変わることなく今日まで継承されております。
この流儀の特色の一つとして「茶の湯は貴賤の別なく誰にでも楽しまれるものである」という石州公の言葉が遺されていますが、それに象徴されるように心ゆたかに、あたたかく、奥深いものがあります。 - 小 系
- 清水道閑(一世)−動閑(二世)―道竿(三世)―道簡(四世)−
道斎(五世)−道看(六世)−道幹(七世)−道鑑−(八世)−
落合道鑑(九世)−大泉道鑑(十世) - 教 室(社 中 )
- 記 録
- 2015年以前